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Memories of 市川準

市川準監督のデビュー作から遺作までの計5作品と、特典ディスクを収めたDVD-BOX『Memories of 市川準』(2,000セット限定生産)が10月28日に発売になりました。初めてDVD化される作品ばかりだったので、思い切って購入することに。まずは市川監督の遺作となった初のプライベート・フィルム『buy a suit スーツを買う』と、同時収録された『TOKYOレンダリング詞集』を観ました。

『buy a suit スーツを買う』は、企画・撮影・編集すべて監督自らが行った、原点回帰ともいえるプライベート・ムービー。わずか47分の、ささやかな作品ですが、世の中からはみ出してしまった人たちの孤独感や焦燥感、空虚感が繊細に、丁寧に描かれていて、観ていてすこし切なかったです。市川監督の映画に共感するのは、自分もたぶん(間違いなく)はみ出している側にいるからで、こんなふうにあたたかい視線を投げかけてくれる人がいなくなってしまい、ほんとうに寂しい。

『TOKYOレンダリング詞集』も、監督自身がパソコンで全篇の編集を行った作品で、東京の風景に詞(コトバ)をのせた、いわゆる一行詩といったもの。短い映像に合わせてふと浮かび上がる市川監督のコトバが印象的で、とくに最後の3行のフレーズに、思わず泣きそうになってしまいました。きっと、一生、忘れないと思う。

『buy a suit スーツを買う』を含む、DVD-BOX『Memories of 市川準』の5作品は、12月23日に単品としても発売されるそうですので、興味のある方はぜひチェックしてみてくださいね。


Memories of 市川準 DVD-BOX(6枚組)限定生産Memories of 市川準 DVD-BOX(6枚組)限定生産
(2009/10/28)
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| 映画 | 23:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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アンナと過ごした4日間ースコリモフスキ監督が舞台挨拶

17日、イエジー・スコリモフスキ監督の17年ぶりとなる新作『アンナと過ごした4日間』を観てきました。公開初日で、かつ1回目の上映にはスコリモフスキ監督が来場するとあって、土曜日の朝にもかかわらず大勢の人が詰めかけていました。とはいえ、スコリモフスキ監督の作品は、これまで日本で上映される機会があまりなく、また最近では俳優や画家としての活躍が目立っていたので、「ポーランドが誇る幻の映画作家」と称されていることなど、ご存知ない方も多いかもしれません。

ちなみに私がスコリモフスキ監督のことを知ったのも、デヴィッド・クローネンバーグ監督の映画『イースタン・プロミス』に俳優として出演されていたのがきっかけでした(同映画のパンフレットによると、クローネンバーグ監督はスコリモフスキ監督を長年崇拝していて、作品への出演が決まった時には狂喜したそうです)。そんな大映画作家の久しぶりの作品『アンナと過ごした4日間』が、昨年、東京国際映画祭で審査員特別賞を受賞。報道などで、すばらしい作品との評判を伝え聞いていたので、公開されたらぜひ観にいきたいと思っていました。

なお今回、17日から始まった東京国際映画祭の審査員として来日されたスコリモフスキ監督ですが、同じ日に『アンナと過ごした4日間』が公開初日と迎えるとあって、忙しい合間を縫って劇場に駆けつけたそうです。17年ぶりの作品にもかかわらず、立ち見が出るほどの盛況ぶりに「たいへん朝早くに、しかも土曜日だというのに、ベッドの中にいるのではなく、こんなに大勢の人が足を運んでくれたことに驚いています。ありがとうございます」と、とても感慨深そうに挨拶されていました。ずっと黒いサングラスをかけたままだったので、その表情までは伺うことができませんでしたが、きっとほんとうに嬉しかったのではないかと思います。

また会場には、奥様であり、『アンナと過ごした4日間』の共同脚本家でもあるエヴァ・ピャスコフスカさんもいらしていて、席の一番後ろで会見の模様をご覧になっていました。監督同様、とても素敵な方でした! さっそくこの映画の感想を書きたいところですが、書きたいことがありすぎて長くなりそうなので、、、まずは舞台挨拶の模様をメモしておこうと思います。挨拶の内容については、あいまいな部分もありますので、間違っていたらごめんなさい。また今回の来日にあたり、多数インタビュー記事が掲載されると思いますので、ぜひ併せてチェックしてみてください。

スコリモフスキ監督の故国ポーランドを舞台に、「恋する男の狂おしい情熱を描いた究極の“片思い映画”」の詳細については、公式サイトで紹介されているので、興味のある方はそちらをどうぞ。


以下、10月17日に渋谷のイメージフォーラムで行われた舞台挨拶の一問一答です。

ー今回で3回目の来日とのことですが。
「この1年で3回目の来日になりますので、それだけでも、私がどれだけ日本を気に入っているかお分かりいただけると思います。日本の観客のみなさんは、他の国のそれとは全く異なると思っています。たとえばアメリカの観客ー私はアメリカが大きらいだし(笑)、ヨーロッパはぎりぎり我慢できると思っているんですけれどもーそれらの国の観客と比べると日本の観客は全然異なると思っています」

ー日本人についての小さな記事がヒントになって脚本を書き出したというのは本当ですか。
「私がロサンゼルスに住んでいた時、毎日、ロサンゼルス・タイムズを読んでいました。その新聞の一番後ろのページに「珍事件」といったコーナーがあり、そこに掲載されていた一行が、脳裏のどこかに刻み込まれていたのです。読んだのはもう何年も前のことです。そして今回映画を作るにあたり、もしかしたら主題になりうるかもしれないと思いました。その一行は、次のようなものでした。「ある恥ずかしがりやの日本人が、毎夜好きな女性の部屋に侵入し、彼女には何もせず夜を明かしていた」

一番苦労した点は?
「俳優を見つけるのに苦労しました。約150人の俳優をオーディションしましたが、年齢にはこだわっていませんでした。私が探していたのは、その人が持っているシャイな部分を自然に出すことのできる俳優だったのです。どの俳優もこぞって、自分はどんな役でも、もちろんシャイな役だって演じられると主張していましたが、彼は違いました。

(オーディションの日、)ドアをノックし、片方の目だけドアの隙間から出して、ほとんど申し訳なさそうにしていました。まるで間違えてここに来てしまった、とでもいうように。それですぐに「彼だ」と確信したのです。じつは彼にとって、このような大きなスクリーンで演技をするのはほとんど初めてのことなのです。どこまでが演技で、どこまでが自然体な姿か、みなさん自身が判断いただけたらと思います」

ー会場にいらした若い観客のなかには、映画を撮りたいと思っている人も多いと思います。監督が映画を作るときに心がけていることがあれば教えてください。
「(しばらく沈黙したあと)おそらく最も大切なのは、なんとしてもやり遂げるという強い意志だと思います。映画を撮るためには、お金を集めなくてはならないし、製作のためのプロセスも調整しなければなりません。やり遂げるためには、あらゆることに立ち向かわなくてはならないのです。でも、もしそれがうまくいったなら、あなたの作品も満足いくものになるはずです」

ー最後にメッセージをお願いします。
「早起きしたことを後悔しないといいのですが。観終わったあと、ほんとうによい映画だと思っていただけたなら、ぜひ友人のみなさんにも勧めてほしいと思います」

| 映画 | 23:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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暗闇のなかで、映画を見るということ

Paris_11
CONTAX G1+Biogon T*21mmF2.8

「UGC Rotonde」は、パリ・モンパルナスの老舗カフェ「La Rotonde」(ラ・ロトンド)に隣接する映画館。パリにも、大手配給会社が経営する、複数のスクリーンを持つシネマコンプレックス(シネコン)が数多く存在します。作家性の強い作品を好む独立系映画館とは異なり、商業ベースの封切り映画をメインに上映する映画館です。

すこし前の話題になるのですが、今年2月10日付の朝日新聞に、映画誌『カイエ・デュ・シネマ』の編集長で、映画評論家のジャン・ミシェル・フロドンさんの記事が掲載されていました。同1月末の来日時に行われた、東京・京橋の映画美学校での講演「映像配信の時代における映画上映について」を紹介したものです。

フロドンさんは、10年以内には映画はデジタル配信が主流になると予測していて、専用の装置さえあれば学校や病院、刑務所でもテレビ並みに簡単に映画が見られるようになり、「新しい観客を得るチャンスだ」と述べています。しかしいっぽうで「資本力のあるチェーンが最新の機材を設置し、既存のアート系映画館が消える恐れもある」とも。

いまや市販のデジカメで映画を撮る試みがあるぐらいなので、撮影から上映まで、すべてデジタルに置き換わる日も、そう遠くないのかもしれません。日本に比べ、独立系映画館が健闘しているフランスでさえ、大きな転換期を迎えているのだと思います。

もし映画がデジタル上映になったとしても、「肝心なのは、闇に身を潜めて見ることだ」とフロドンさんは言います。「ネットやDVDで映画を見る人は多い。だが映画は暗闇が必要だ。現代の最も重要な監督のイーストウッドもアルモドバルもゴダールも、この闇を前提に映画を作っているのだから」

当たりまえのように家で映画を見るようになった私の世代では、「闇を前提に映画を作っている」ことに気づいていない人のほうが多いのかもしれません。私も然り。でも、映画館で映画を見る醍醐味は、たんに大きなスクリーンや素晴らしい音響を享受することではないのでしょうね。

デジタル全盛の現在、暗闇を意識して映画を撮る監督も、ひょっとすると少数派なのかもしれません。それでも、イーストウッドのようなすぐれた映画監督の作品は、ほんとうは映画館でしか完成しないのかもしれない。それなら、映画館の暗闇のなかで、もう一度じっくり作品を見直してみたい、そんな気持ちが湧いてくるのでした。

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| 映画 | 00:19 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ジャン・ルノワール監督の映画『ピクニック』

Cartier-Bresson

ジャン・ルノワール監督の映画『ピクニック』の撮影風景。写真上の右から2番目と、写真下の右側が、写真家アンリ・カルティエ=ブレッソン。(写真集『de qui s'agit-il ?』より)

アンリ・カルティエ=ブレッソンには、映画の道へ進むことを真剣に模索していた時期があったようです。1935年、30歳の時に、ニューヨークで映画の撮影と編集の基礎を学んだあと、出来のよい写真をアルバムにして監督ジャン・ルノワールに売り込みに出向いたといいます。ジャン・ルノワールは、カルティエ=ブレッソンの写真が気に入り、フランス共産党から依頼されたプロパガンダ映画『人生はわれらのもの』(La vie est  à nous)の助監督に採用します。

翌1936年夏に撮影が始まった映画『ピクニック(Une partie de campagne)』(モーパッサン原作)にもカルティエ=ブレッソンは第二助監督として参加。彼自身が回想するところによると、ジャン・ルノワールは、カメラの向こう側を体験してもらうため、助監督にちいさな役を演じてもらいたいと思っていたようです。そのようなわけで、第一助監督のジャック・ベッケルとともに、カルティエ=ブレッソンは神学生の役で出演しています。

最初観た時は気づかなかったのですが、カルティエ=ブレッソンの右隣(写真上)にいるのは、作家で思想家のジョルジュ・バタイユ。左端には詩人ジャック・プレヴェールの姿もみえます。『天井桟敷の人々』の脚本でも有名なジャック・プレヴェールは、台詞協力としてクレジットされています。何気ないシーンですが、ジャン・ルノワールの交遊関係が垣間見えて、興味深いものがあります。

そして主役のシルヴィア・バタイユですが、「バタイユ」という名字からも連想されるとおり、ジョルジュ・バタイユ夫人だった人であり、のちに、精神分析家ジャック・ラカン夫人となったその人、なんですね(撮影時には、ジョルジュ・バタイユとの関係は破綻していたようです)。この映画はシルヴィア・バタイユの魅力に負うところが大きいと思えるほど、彼女の、清純でありながら官能的な美しさが、ジャン・ルノワールの映像をいっそう際立たせています。

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワールを父に持ち、ヌーヴェル・ヴァーグの父ともいわれる、フランス映画を代表する監督ジャン・ルノワール。あとにつづく監督たちに多大な影響を与えたとされる彼の映画を、カルティエ=ブレッソンに興味がある人はもちろん、ジャン・ルノワールの映画をまだ観たことがない人にぜひお勧めしたいと思います。1本の映画に懸ける映画人たちの、真剣な眼差しと、あたたかな交流が垣間見えるはずです。


「水面に映る抒情と官能、シルヴィア・バタイユの儚い美しさー
ひと夏の時空を鮮やかに封じ込めた、
ルノワール映画のすべてが結晶した美しき小宇宙

1860年の夏のある日、パリに店を持つデュフール氏は、妻と娘のアンリエットらをしたがえパリ郊外へとピクニックに出かけた。たおやかな陽射しに彩られた1日、昼食後、デュフール夫人とアンリエットは、同じように川遊びにやって来ていた青年アンリとロドルフに誘われる。アンリとともに中州へ漕ぎだし抱かれるアンリエット。突然の驟雨がふたりを包み、水面に波紋を広げる。そして2年後……。

映画は1936年夏に撮影を開始。だが、天候に悩まされ、そのうえルノワールが次回作の『どん底』の撮影に入ってしまったため未完のままになったそのフィルムを戦後の'46年にプロデューサーのピエール・ブロンベルジュが編集させ、完成へとこぎ着けた。結果、わずか40分足らずの掌編でありながら、ルノワールの映画のあらゆる魅惑が詰まった傑作となった。」

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映画が生まれる街、神楽坂

Roji_6
RICOH GR DIGITAL

映画が生まれる街、神楽坂。

ホン書き旅館「和可菜」は、山田洋次監督が脚本を書くときの定宿。『男はつらいよ』や『武士の一分』は、ここで生まれたそうです。ほかにも、この旅館でモノを書いたり、構想を練ったりした監督・脚本家・作家は、名前を挙げれば切りがないといいます。和可菜で生まれた作品が数多くヒットしたことから、出世旅館とも呼ばれているそうです。

市川準監督の追悼本『市川準』を読み始めました。神楽坂は、市川監督が十歳から二十歳ごろまでを家族と過ごした場所でもあります。映画第一作となった『BU・SU』(1987年)も、神楽坂で撮影されました。まだ今のような活気のなかった古い街、神楽坂の中に若い富田靖子さんを置いたアンバランスが新鮮だったと、川本三郎さんは書いています。

映画を観ると、神楽坂の風景は随分変わったように感じますが、和可菜のある一角だけは当時の雰囲気をとどめています。時間の流れもゆっくりで、都会とは思えないほど静か。街が変化していくのは仕方がないことだけれど、市川監督の描いた神楽坂の風景が見られる数少ない場所だけに、ずっとこのまま残っていてほしいと、心から思います。

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